社会

【1890年】トルコ軍艦 エルトゥールル号 遭難事故救出(日本とトルコの絆)

トルコは日本の友好国です。友好国となった背景には1890年に和歌山県の串本町での事故にの救済にあります。日本の教科書では教えてくれませんが、トルコの教科書にはこの事がかかれています。

エルトゥールル号 遭難事故

事故

オスマン・トルコ帝国が日本に訪問。(エルトゥールル号)

目的
  • ヨーロッパ列強との不平等条約に、同じように苦しんでいる日本との平等条約締結のため。
  • 明治20年の小松宮彰仁親王殿下のトルコ訪問に対する返礼。

横浜港に到着し、オスマン海軍少将一行は明治天皇に謁見し、アブドゥルハミト2世皇帝より託されたトルコ最高勲章および種々の贈り物を天皇に捧呈。併せて両国の修好という皇帝の意を天皇に伝えた。明治天皇は、使節に勲章を授け、饗宴を賜った。

使節団一行は東京に3か月滞在したのち出港した。

串本町大島樫野崎沖を航海中に台風に遭遇、猛烈な波浪と強風のため船甲羅岩礁に激突。オスマン海軍少将以下587名が殉職、生存者わずかに69名という大海難事故となった。

救助活動

当時の串本町大島の住民は不眠不休で自らの危険を顧みず生存者の救助、介護、また殉難者の遺体捜索、引き上げにあたる。当時の串本の主食は芋、米はお正月のみだったが、その備蓄を出し、村人総出で大変な苦労して水汲みお湯を沸かし人肌で温めたりと一生懸命に助けました。

帰国

その後、日本全国からも多くの義金、物資が遭難将士のために寄せられ、69名の生存者は神戸で治療を受けた後、2隻の日本海軍の軍艦により帰国の途につき、翌年イスタンブールに入港した。

 この懸命な救助がトルコに大変な感謝をうけ、その後新日国となり、教科書にまで書かれ子々孫々にまで引き継がれた。

トルコからの恩返し

 時は流れ1985年、イラン・イラク戦争でテヘランに取り残されていた日本人を航空機で救出してくれたのはトルコだった。「今こそ恩返しをする時だ」と助けてくれたトルコに日本は大変感謝した。日本では、「エルトゥールル号」の出来事をあまり知らず、どうして助けてくれたのだろうと驚きました。その時にこの物語を知ることになった。

そして、この語り継ぐべき友好物語は、日本とトルコ合作で映画化された。(海難1890)

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和歌山県(時を越える絆)
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ありがとうございます!私たちのご先祖様!トルコの方々!!

これからも仲良くしていきましょう💗

まとめ

 トルコ記念館はこの出来事を記念し、1974年(昭和49年)12月に遭難現場付近の紀伊大島にトルコと串本町の友好の印として記念館が建設されました。慰霊碑は長年に渡り、地元の老人や子供たちによって毎年、清掃されています。

2021年オリンピックの聖火ランナーには串本でトルコの方が走ってくれました。

串本町(トルコと日本の旗です)

これからもどうぞよろしくお願いします!

串本町HP トルコとの交流 ~エルトゥールル号の遭難絆物語
和歌山県HP トルコと日本 友好の原点は和歌山です受け継がれる思い 永遠の絆

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